次々と話題作に出演している、ネクストブレイク俳優である岡田健史さん。
活躍の場を広げている岡田健史さんですが、デビュー時から演技力が高すぎるということをご存知ですか?
この記事では
- 岡田健史の生い立ちとデビューまでの経緯
- 岡田健史の演技力と主演作品の評価
を徹底調査しました。
目次
岡田健史の生い立ちからデビューまでの道のり

名前:岡田健史(おかだけんし)
生年月日:1995年5月12日
出身地:福岡県福岡市東区
身長:180cm
血液型:O型
活動期間:2018年~
事務所:スパイスパワー
岡田健史さんは、中学1年生の冬から現在所属している事務所であるスパイスパワーからスカウトを受けていました。
しかし、そのスカウトを断り続けていた岡田健史さん。
岡田健史さんには、高校野球で甲子園に行くという夢があったからです。
岡田健史さんの幼少期は、野球一色。
その半生を解説していきます。
岡田健史は小学校2年生から野球をはじめる
岡田健史さんは小学校2年生のときに、野球をはじめました。
当時の写真がこちらです。

幼少期から、整った顔立ちをしていたことがわかりますね。
岡田健史さんは野球ではキャッチャーを務めていました。
当時の岡田健史さんの夢は高校野球で甲子園に出ることと、野球選手になること。
俳優とは縁遠い世界で、岡田健史さんは野球の腕を日々磨いていました。
岡田健志は中学2年生のときにスカウトされる

岡田健志さんが、現在所属している事務所スパイスパワーにはじめてスカウトされたのは、中学1年生の冬でした。
最初のことはよく覚えています。中1の冬で、給食袋の袋を振り回しながら帰っているときに呼び止められて。そんな中で名前を聞かれたりして正直に答えて、家に帰ってお母さんに言ったら名前教えるなんてとすごく怒られて(笑)。ちょっと落ち込んでいたら、次の日も同じところにいて、今度は2人に増えてる!恐怖を感じて道の反対側を歩こうとしたら、こういう者ですって、改めてスカウトされました。
岡田健史さんは野球に没頭していたため、芸能界に興味はなく、そのスカウトを断っています。
中1のときに福岡でスカウトされて以来、ずっと誘い続けてくれて。ただ僕は、“いつもご苦労さまです。でも、やりませんよ”と言っていて。俳優になりたいなんて、まったく思ってなかった(笑)。
引用:Woman excite
しかし、スパイスパワーは諦めることなく5年もの間、岡田健史さんをスカウトし続けたそうです。
岡田健史さんには、当時からスター性があったことがうかがえるエピソードですね。
岡田健史の芸能界デビューのきっかけは演劇部からのスカウト

岡田健史さんは、高校は野球部の強豪校である創成館高等学校に進学しました。
寮に入り、朝から晩まで野球の練習をしていたそうです。
高校時代の野球の練習は相当つらいものだったらしく、岡田健史さんはかなりの苦労をしたそうですよ。
詳しく解説している記事があるので、ぜひ見てみてくださいね。
https://htc-shop.jp/okadakensi-gakuseizidai/岡田健志さんは健闘したものの、甲子園には届きませんでした。
その後、野球部を引退した岡田健史さんは、演劇部の顧問から助っ人として出て欲しいとスカウトを受けました。
そのときの心境について、岡田健史さんはインタビューに答えています。
演劇にも県大会の前に地区大会があるんですが、地区大会のときは僕は助っ人だし先生の言うことを聞いてればいいや、って安易な気持ちでやってたんです。でも、地区大会から県大会に上がれるは3校、さらに九州代表に上がれるのは1校で、どんどんレベルが高くなっていく。しかも、自分はキャストとして選ばれてるんですけど、出演していない子たちもいます。僕が安易な気持ちでやってたらその子たちは嫌だろうな、と考えを改めて。それで自分なりに取り組んだ結果を、審査員の方や観客に名指しで評価してもらったことがすごく気持ちよくて、役者になりたいなと思いました。
引用:VOUGUE GIRL
演劇部ではじめて演じた物語は、長崎に原爆が落ちる11時2分から1時間前の、とある家族の日常を描いたものだったそうです。
岡田健史さんは主人公のいとこで、特攻隊になることを報告する役だったのだとか。
演劇部の助っ人の体験を通して、演技の楽しさに目覚めた岡田健史さん。
元々スカウトを受けていたこともあって、岡田健史さんは「俳優になりたい」と望むようになりました。
岡田健志の芸能界入りは両親に反対されていた

岡田健志さんは俳優になる夢を持つようになりましたが、その夢を両親は素直に応援してはくれませんでした。
実は岡田健志さんは、このときすでにスポーツ推薦によって大学への進学が決まっていたのだそうです。
だからこそ、高校3年生の受験シーズンにもかかわらず、岡田健史さんは演劇部の助っ人ができたんですね。
俳優になりたいと両親に伝えたときについても、岡田健史さんはインタビューにこたえています。
両親に俳優をしたいって伝えた時って、どうだった?
めちゃくちゃ反対されました。「ちょっと待てお前、一回座れ」って(笑)。おっ、緊張の場面!
引用:VOUGUE GIRL
親父と、野球を引退してからはけっこう一緒に過ごす時間があったんです。でも、役者になりたいといきなり言っても、今まで支えてきてくれたことと全く違うことだから、それなりに覚悟もって話さないと通用しないというか、話す資格ないなっと思って。覚悟を決めて母親に「俺俳優になりたいです」って言ったら、最初はすごい反対されました。
野球一筋だった息子に、いきなり俳優になりたいと言われて、ご両親もびっくりしてしまったのかもしれませんね。
俳優になった今は、両親ともにものすごく応援してくれているのだそうです。
岡田健志さんはご両親を説得した言葉についても、語っています。
決めゼリフじゃないんですけど、今まで育ててくれたことには感謝してるけど、、僕の人生だから好きなことをやらせてくれって。その分、失敗しても自分で責任をとるからやらせてくださいって。一ヶ月間ずっと頼みこみました。
引用:VOUGUE GIRL
こうして岡田健史さんは、粘り強くスカウトをし続けてくれていたスパイスパワーに連絡。
芸能界入りが決まったのです。
岡田健史の演技力や出演作品の評価がヤバい!

芸能界に入り、俳優として活動をはじめた岡田健史さん。
デビュー作はいきなりの連続ドラマの主人公の相手役。
『中学聖日記』で不思議な魅力を持った中学生役を演じたのです。
このオーディションは書類選考段階で1,000人を超えていたそうですが、岡田健史さんはこの選考を突破して、デビュー作からいきなり大役を任されました。
当時19歳の新人が、連続ドラマで有村架純さんの相手役を演じることで話題になり、岡田健史さんは一気に注目される俳優に。
『中学聖日記』での演技が評価され、岡田健史さんはデビュー作にもかかわらず、『週刊ザテレビジョン』が主催している第99回ドラマアカデミー賞助演男優賞を受賞しています。
さらに第28回TV LIFE年感ドラマ大賞 新人賞も受賞。
デビュー作からすさまじい活躍ぶりですね。
俳優として活躍し続ける岡田健史

岡田健史さんの活躍はまだまだ続きます。
『中学聖日記』の後は、『博多弁の女の子はかわいいと思いませんか?』でテレビドラマ初主演を獲得。
2020年には『弥生、三月-君を愛した30年-』で映画デビュー。
次々と岡田健史さんの出演した映画は放映され、計4作品が連続して公開されました。
2020年6月にはヒットドラマである『MIU404』に出演。
2021年にはNHKの大河ドラマ『青天を衝け』にも出演しています。
岡田健史の演技力への評価

岡田健史さんはデビュー作でいきなり2つの賞を受賞していますが、映画でも演技力を評価されています。
2021年に出演した『望み』『ドクター・デスの遺産-BLACK FILE-』『弥生、三月-君を愛した30年-』の3作品の演技を評価され、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しました。
2018年にデビューしてから、ずっと最前線で活躍し続けることのできる演技力はすばらしいものですね。
まとめ

岡田健史さんのデビューまでの経緯と、デビュー後の活躍ぶりを紹介してきました。
岡田健史さんのスター性にはおどろかされますね。
俳優として、これだけ演技力を評価されていると、岡田健史さんは俳優になるために生まれてきたのかもとすら思ってしまいます。
今後も活躍すること間違いなしの岡田健史さんから目が離せません!